徳永京子(演劇ジャーナリスト)の覚え書きなど。Twitterもやってます。アカウントはk_tokunaga
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シアターコクーン『十二夜』

原作:シェイクスピア
翻訳:松岡和子
潤色・美術・演出・衣裳:串田和美
出演:松たか子、石丸幹二、りょう、荻野目慶子、大森博史、片岡亀蔵、笹野高史、串田和美ほか


気になった点から書くと、笹野さんの演技の質や
舞台の居方みたいなものが、串田さんと似過ぎている。
以前から思っていたことだけど、
この『十二夜』はその弊害がはっきり出てしまっした。
串田さん的な、“素の愛嬌”で舞台をメタ化するユルさは、もともとがかなりリスキー。
笹野さんにも“素の愛嬌”はあるけれど、
ひとつの作品にふたりのメタおじさんの存在は厳しい。
何しろメタ化は作品のスピードを落とし、観客が作品の世界に乗るタイミングを減らすのだ。
一幕はそれが影響して「つまらない」ではなく「退屈」な時間が長かった。

でも全体の世界観は決して嫌いじゃない。
原作は船が難破してようやくたどり着いた港町、という設定なのに、
セットの奥は一面の砂漠で、赤茶の砂の上に乗り上げた船が書き割りに描かれている。
オープニングはその砂漠に旅の楽団が通りかかるところから始まって、
主にせりふを言うのは、紙芝居の枠を大きくしたようなステージの上。
つまり、この『十二夜』は劇中劇だ。
そうした仕掛けはいかにも串田さんらしいし、
男女の双子のなりすまし劇なんていう、およそ非現実的な物語は、
それぐらいの距離感と牧歌的なパッケージで立体化するほうがスマートだ。

さて、問題は二幕の大詰め。
双子の兄セバスチャンと妹ヴァイオラが出会う、『十二夜』のトピック的シーンで
またも目撃してしまったのだ、松たか子のモンスター級演技を。

串田さんが本当にやりたかったのは、
先に書いた劇中劇的演出でも、
早替わりとか演じ分けといったビジュアルのトリックでもない。
本当に大切な存在を失った人間の深い深い悲しみと、
それを乗り越えるためにほとんど本能的に採った切ない行動を、
ヴァイオラに託してこの作品に差し挟むことだった。
派手な演出もない短いそのシーンは、
松さんの戯曲の鋭い読解力と優れたせりふ術によって、
シェイクスピアが書いた物語の時間をなめらかに一時停止し、
さらに2011年1月の東京渋谷へと時間を飛ばし、
観客(さっきまで居眠りしていた人も含め)の心に結晶し、
それが終わった途端、何事もなかったように時空の穴を閉じた。

ちなみに、そのシーンで松さんを見つめる笹野さんはとてもよかった。
一瞬ですべてを察知し、憐れみと理解を抱いた様子がよくわかった。
りょうさんは、圧倒的に美しいことに加えて、
舞台女優としてこんなにすごい人になっちゃった、という頼もしい存在感。
そして“バカ殿”エイギュチークを演じた亀蔵さんがとんでもない拾い物!
出てきて最初のせりふを言った途端、「誰この上手い人?」と思わせる
ポテンシャルに驚いたし、最初から最後まで素晴らしいバカ殿ぶりだった。

ところでこれを書きながら思ったんだけど、
砂漠で港町の話を上演するという、究極の“ないことを忘れた振り”は、
セバスチャンを思うヴァイオラの姿と見事に重なる。
でもきっとそれは深読みで、
串田さんもそこまでは意識していないんだろうな。
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by word-robe89 | 2011-01-10 21:47 | 劇評