徳永京子(演劇ジャーナリスト)の覚え書きなど。Twitterもやってます。アカウントはk_tokunaga
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2011年の演劇アンケートに参加しない理由

年末になると「今年、印象に残った舞台を挙げてほしい」という連絡を数カ所からもらう。
「ベスト3」であったり、「演出賞、脚本賞、男優賞、女優賞」といった形だったり。
でも2011年の舞台のランキングに関しては、すべて回答しないことに決めた。
理由はやはり、東日本大震災が大きい。
3月10日までに観た舞台と、11日以降に観た舞台を、
どうしてもひとつの物差しで比べられない。

すでにそうしたアンケートに回答した人、これから回答する人、
自主的に「ベスト3」等を挙げた人が“ひとつの物差し”で
答えを出したとは微塵も考えていない。
苦しみを伴う熟考の末に出したカギカッコ付きでの結論だということは、
想像できているつもりだ。
自分もそうしてみようと考えて、2011年のスケジュール帳を遡ってめくった。
でも3月10日までに観た舞台の「素晴らしかった」と、
11日以降に観た舞台の「素晴らしかった」の間にある亀裂を埋める
カギカッコが、まだ私には見つからない。

あらかじめ書くと、大きな余震や節電絡みの警告がある中で上演を決行した
主催者やつくり手を私は基本的に尊敬している。
また、その劇場に集まった人達が感じたイレギュラーなテンションやシンパシーを
否定するつもりもまったくない。
なぜならそれらは間違いなく演劇体験だから。
演劇が自らの最大の特長としてアナウンスしているライブ性とは、
そういうことをも完全に包括する。
いつもと違う状況下で全身の神経が鋭敏になり、
普段なら感じ得ない脚本や演技の領域をも読み取って、
または脚本や演技の存在を初めて忘れることができて、
結果的にその時に観た舞台が2011年のベスト1だったという人もいるはずで、
それはかけがえのない「2011年の私の1本」だろう。

でも一定数の舞台を比較して、
いずれかを落とし、いずれかを選び取る時、
「震災後のあの状況で…」や「あの震災を経て一層この作品の意味が…」という情報を
含めた上で「いい作品だった」という評価に結び付けるのはフェアだろうか。
企画時はごく普通の公演だったのに、
震災があったから社会的な意味が生まれた公演は少なくない。
もちろん「こんな時、演劇に何ができるのか?」を問うために
演目が急遽変更された公演もあった。
演劇は生き物であり、企画から発表までのフットワークが軽いから、
社会の出来事をどうしたって映してしまう、あるいは、映すことができるわけで、
それはまったく間違っていない。
だが3月10日までの公演は、
そうした問いかけのタイミングから弾かれたものとして
捨て置いていいのだろうか──。
そしてその疑問は、ほとんど同時に次の疑問も連れてくる。
「震災は震災、舞台は舞台」という勇敢な無邪気さで、
3月10日以前の舞台を評価していいものか。
それこそ、震災以降の舞台と同じ枠の中で評価することに反するのではないか。
また、同じ“震災後”の公演でも、
直後の暗い躁状態をまとった公演と、
時間を置いて内省をまとった公演があるが、
観客として前者に興奮して後者に醒めた自分がいたとして、
それは作品のクオリティによるものなのだろうか。
とは言え、フェアネスを拡大解釈して、
2011年から震災を一切無視するほうがいびつだし、何より不可能だし、
だからと言って「震災前のベスト3」と「震災後のベスト3」を
分けて選出するような方法は、やはり大きな何かを斬り捨てるようで抵抗がある。
いや、そもそもランク付けは個人の嗜好であり、
フェアになるはずはないのだ、フェアである必要もないのだ、という意見もあるだろう。
それも正しいのかもしれない。
でもできるだけフェアであろうとして、
もしくはフェアとは何かを考えるために立ち止ることも
間違ってはいないのではないかと、今の私は思う。


元をただせばこの数年、いろいろな団体から
「ベスト3」や「ベスト1」をリクエストされることに抵抗が生まれてきていた。
主催者によって主旨が異なっていて、
Aのアンケートでは採り上げられなかった作品がBでは採り上げられるから
引き受けようといった自分の都合もあったし、
評価の場が少ない演劇というジャンルでは、
そうした機会に名前が挙がることが少しでもつくり手の労いになれば
という気持ちもあって、求められるまま参加してきた。
けれどあれもこれも、選出者の回答をただ並べて終わり。
「そこから見える○○年の演劇界はあなた次第」であり、総括も何もない。
「あなた次第」という投げかけは確かに大切だし、大人の振る舞いとも言えるが、
データを集めたら解析し、吟味し、論じるという手間をかける主催者が、
強い言葉で言うなら集めた責任を取る主催者が、
ひとつぐらいあってもいいのではないかと思う。
自分達はどんな目的があってアンケートを取っているのか。
それによって何を示したいのか。
選者はどんな基準で集めたのか。
集まった結果から何を読み取ったのか。
それを何に活用するのか。
過去の結果と照らし合わせて今年の傾向を導き出すことはしないのか。
たとえば、主宰者の代表と誰かの「この舞台が私のベスト1」という対談や
座談会を、なぜ開かないのか。
アンケートの結果を複数で議論する場を、なぜ設けないのか。
何より、ランキングを並べて終わり、という姿勢は、
演劇作品の消耗品化を容認してはいないか。

選ぶという行為に付いて回る、「選んだ理由」と「選ばなかった作品の存在」を、
結果的にではあっても、アンケートやランキングは軽々と無視してしまう。
その「軽々と」が、2011年を振り返った重さと釣り合いが取れない。
だから私は少なくとも2011年分に関して、その参加を一切やめる。
もっと生産的な振り返りが、今年の年末はあるといいのだが。
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by word-robe89 | 2012-01-05 21:33 | 演劇諸々